応用|なぜその調が選ばれているのか

音の流れの違いによって、長調と短調の響きは現れています。

同じ形のメロディであっても、わずかな音の違いによって、その流れは変わります。

進んでいくように聞こえるか。
一度引き寄せられるように感じられるか。

その差が、音楽全体の印象を決めています。

この違いは特別なものではなく、実際の曲の中でも、そのまま使われています。

なぜその調が選ばれているのか。
その理由は、音の流れとして現れています。

なぜベートーヴェンはハ短調を選んだのか

ベートーヴェンの作品には、ハ短調で書かれたものがいくつもあります。
なんといっても、有名なのは『運命』でしょうか。
あの曲で、ベートーヴェンはハ短調の作曲家と認識されているようにも思います。

そして、音の流れに注目してみてください。
まっすぐ進んでいるようで、どこかで踏みとどまり、張り詰めたまま動き続けているように聞こえます。

すぐにどこかへ落ち着くのではなく、一度内側に引き寄せられながら進んでいく。

あの感覚です。
前へ進もうとしているのに、どこかで踏みとどまっている。
ベートーヴェンのハ短調には、そんな張り詰めた力を感じることがあります。

音がどこに向かっているのか。
どこで落ち着こうとしているのか。

その見方で聞いてみると、単に「重い」「暗い」という印象ではなく、着地しきらないまま押し出されていく。
そのような流れが見えてきます。

だからこそ、ベートーヴェンはハ短調という調性に何度も立ち返ったのかもしれません。

なぜショパンは嬰ハ短調を使うのか

ショパンの作品では、嬰ハ短調の響きがよく使われています。
彼の作品でもっとも有名な曲ともいえる『幻想即興曲』も嬰ハ短調で書かれています。
中間部のロマンティックに歌い上げる旋律と比較すると、どこか不安定なアルペジオ。
これもこの曲の魅力の一つです。

音の流れに注目してみると、滑らかに進んでいるようで、どこかに落ち着ききらない。
進んでいるはずなのに、完全には着地せず、わずかに揺れ続けている。

あの感覚です。

音がどこで落ち着こうとしているのか。
それとも、落ち着ききらずに動き続けているのか。

その見方で聞いてみると、単に「繊細」「きれい」といった印象だけではありません。
着地しきらないまま流れ続けていく動きが見えてきます。

その“着地しきらなさ”を支えているもののひとつが、嬰ハ短調という調性なのかもしれません。

同じ短調でも、ベートーヴェンのように押し出される動きとは違います。
ショパンの短調は、流れ続けながら着地しない。

そして、その違いは「短調だから」ではなく、「どの短調を、どのように使うか」から生まれているのかもしれません。

映画やCMの音楽でも同じことが起きている

ここまで、ベートーヴェンやショパンの作品を例に見てきました。
しかし、この考え方はクラシックだけのものではありません。

私たちは普段から、映画やドラマ、CM、ゲームなど、さまざまな音楽に囲まれて暮らしています。
そして、そこで使われている音楽もまた、同じように「音の流れ」によって印象を作っています。

見るポイントは変わりません。

音がどこに向かっているのか。
どこで落ち着こうとしているのか。

その違いによって、私たちは無意識のうちに安心したり、緊張したりしています。

安心して聞こえるとき

音が自然に進み、無理なく落ち着いていく。
流れが見え、そのまま着地していくように感じられる。
そんな音楽を聞くと、私たちは安心感や安定感を覚えます。

企業CMの最後や、物語がひと区切りついた場面で流れる音楽には、こうした動きがよく使われています。
「明るい」という印象も、単に音が高いからではなく、こうした落ち着き方から生まれているのかもしれません。

引き込まれるように聞こえるとき

一方で、音が進んでいるにもかかわらず、どこかで落ち着ききらない。
着地しそうでしきらず、少し先へと引き延ばされていく。
あの感覚です。

こうした動きがあると、私たちは無意識に続きを求めます。

映画で「何かが起こりそう」と感じる場面。
ドラマで次の展開が気になる場面。
ゲームで緊張感が高まる場面。

そこでは音楽もまた、完全には落ち着かないまま動き続けています。
「不安」や「切なさ」といった印象も、そうした動きの中から生まれているのかもしれません。

特別な話ではない

ベートーヴェンやショパンで見てきたことは、決してクラシックだけの話ではありません。

押し出されながら進むのか。
引き寄せられながら動くのか。
どこで落ち着こうとしているのか。

その違いが、そのまま私たちの感じ方につながっています。

つまり、音楽の聞こえ方には理由があります。

そしてその理由は、コンサートホールの中だけではなく、私たちの日常の中にも溢れているのです。

「知識」ではなく「聞こえ方」として捉える

ここで見てきたことは、特別な知識として覚えるものではありません。

音の流れは、耳で捉えられるものです。

どこに向かっているのか。
どこで落ち着こうとしているのか。

その一点に意識を向けるだけで、聞こえ方は少しずつ変わり始めます。

最初は、なんとなく違うと感じるだけかもしれません。

けれど、一度その違いに気づいてしまうと、以前と同じようには聞けなくなります。

ベートーヴェンの張り詰めた力。

ショパンの着地しない流れ。

映画で感じる緊張感。

CMで感じる安心感。

それぞれ別のものに見えていた音楽が、少しずつ同じ視点で見えるようになります。

そして気づくはずです。

音楽の印象は偶然ではなかったことに。

作曲家たちは、ただ音を並べていたわけではなかったことに。

なぜその調が選ばれているのか。

その理由は、楽譜の中ではなく、私たちが実際に聞いている音の流れの中に現れているのかもしれません。

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